安政以前の状況
その2
文政年間となり、帝も光格帝から仁考帝になります。光格帝については、これまた書きたいことがあるざますが、それば別項にて。
この時期の事件は「シーボルト事件」でしょう。各地で一揆、打ちこわしが続発し、幕藩体制の綻びが、いよいよ顕著になってくるざます.

さて、今度は一揆、打ちこわし関連も含めて書いて見ましょうぞ。




文政編
(1818〜1830年)
文政元年
(1818年)
5月 イギリス人ゴルドン、浦賀に来航。貿易を求めるが、幕府はこれを拒否。

この時期、会津藩は観音崎、三崎に兵を出して警備を強化しています。

12月 大和吉野郡竜門郷の農民、代官所、大庄屋を打ち壊す。

打ちこわしがいよいよ激しくなって来たねん。
文政2年
(1819年)
1月 幕府、浦賀奉行を増し2名とする。
7月 幕府、草文小判、一分判を鋳造。

粗悪銭の鋳造は、小手先で誤魔化しているに過ぎず。
ツケはデカイざますよ〜。これで物価を抑えようっつったって、カナーリ難しい・・つか、無茶かなあ。で、物価が下がるどころか・・・・

9月 越後糸魚川領の農民、郡代などの不正に反対し、郡代、町年寄を襲撃。
12月 尾張藩、家臣の借財を無利子50ヶ年賦とする。

かつて徳政令とかあったけど(鎌倉時代の永仁の徳政令とかねん)、経済の基盤を無視する政策ざますね。貸した金をチャラにされてみい。信用貸しができない、だから金が動かない。まあ、為政者のご都合で経済を動かそうとすると、これまたツケはデカーイざますよ!

同 陸中南部領の農民打ちこわしを行う。
文政3年
(1820年)
6月 幕府、馬喰町御用屋敷などの貸付金滞納分の利子を引き下げる。草文丁銀、小玉銀を鋳造。7月より通用を開始する。

ま〜た粗悪銭の製造ざます。銭自体に価値観が喪失すれば、経済が行き詰まるのに・・・。

10月 諸役人に更に三ヵ年の倹約を命ずる。
12月 会津藩主松平容衆の相模沿岸警備を免じ、浦賀奉行内藤正弘にこれを任命する。

因みに会津松平家譜によると、将軍家から今回のご褒美に1万両(推定貨幣価値、約4億円)を貰ったそうな。
文政4年
(1821年)
3月 長崎唐人屋敷の中国人、奉行の処置に不満、奉行所に乱入。
7月 伊能忠敬、「大日本沿海実測地図」完成。幕府に献上。

この年、ナポレオンが亡くなられました。合掌。
文政5年
(1822年)
4月 イギリス船、浦賀に入港。薪水を求める。
6月 近江八幡の町民、増助郷に反対、越訴する。
12月 丹後宮津藩農民、万人講、先納銀に反対、大庄屋を打ちこわし、城下に強訴する。この年、伊予越智郡の塩田の浜子・日雇ら、藩札支払に反対、浜主を打ちこわす。

打ちこわし続発。外からも内からもじわじわと崩れて来ていますな。
文政6年
(1823年)
5月 摂津、河内1007ヶ村、木綿売捌について国訴する。紀伊紀川筋の農民、庄屋・豪商を打ちこわし。
7月 オランダ商館にドイツ人医師シーボルト来日。出島に着任。

実はあんましシーボルトは興味ないんですわ。ゴメン(侘

同 摂津、河内、和泉の1307ヶ村、菜種売買自由を要求、国訴する。
文政7年
(1824年)
5月 イギリス捕鯨船員、常陸大津浜に上陸して薪水を求め、水戸藩に捉えられる。
7月 イギリス捕鯨船員、薩摩宝島に上陸して略奪する。

だんだんハチャメチャになってきたなあ。

9月 シーボルト、長崎郊外鳴滝に塾を開く。
文政8年
(1825年)
2月 幕府、諸大名に対して異国船の打ち払いを指令する。(異国船打ち払い令)

ここにきて遂にヤバい指令を発布しています。英国と紛争が絶えなくなってしまった為に、ここにきて「ゲージンの船はどんな船でもメンチ切ったれや!」とブチ切れてしまいました。これら疑心暗鬼が後のシーボルト事件の遠因となっていくそうな。

同 南部領の農民、塩専売に反対して強訴。
5月 イギリス船、陸奥沖に来航。
7月 幕府、古い金銀の引き換え期限を延期。但馬豊岡町民、物産会所・金銀売買商人を打ちこわし。
12月 信濃安曇郡の農民3万、凶作により打ち壊しを行う。美作勝北・勝南郡で打ちこわしがおこる。陸奥信夫郡農民強訴する。
文政9年
(1826年)
3月 シーボルト、オランダ商館長の将軍謁見に随行する。

みにこの年、英国は「東洋のジブラルタル」ことシンガポール、マラッカ海峡地域を植民地として設立しました。いよいよアジアはヨーロッパの暴威に晒されることとなります。
文政10年
(1827年)
11月 薩摩藩、調所広郷が財政改革を着手する。

所謂、借金踏み倒し作戦と、琉球地域の徹底搾取による藩政改革のスタートざます。長州藩の藩政、経済改革とはカナーリちがっていますな。
なお、この年、英国はムガール帝国
(インド)を支配下に置く準備を行い、仏国はアルジェリア(北アフリカ)侵略を開始します。
文政11年
(1828年)
11月 高橋景保、シーボルトに図書を与えた件で逮捕。(シーボルト事件)

シーボルトにカク秘(最高機密の意)である伊能忠敬の日本地図を渡した事で、大事件に発展してしまいました。一説によると、幕府のスパイでもある間宮林蔵の諜報からという説があるそうですが、現在では眉唾とされているそうで。(但し、確固たる証拠はない。これが疑われる原因では?)更に、近年の調査によると、間宮とシーボルトは、なんと出会っているそうです。(みなもと太郎、風雲児たちより)

11月 周防山口の農民、庄屋・商人の不法を代官所に強訴する。新潟で打ちこわし。
文政12年
(1829年)
9月 シーボルトに帰国命令。再渡来を禁止する。

日本で一粒ダネとしてイネさんが残りました。余談ですが、司馬遼太郎の「花神」で大村益次郎とイネがラブラブであったというのは真っ赤な嘘ざます。
シーボルトはこの後、息子さんと一緒に再来日するんだよねー。で、息子さんお医者さんなんだわさ。


10月 新潟で打ち壊し。
11月 長州藩、産物会所を設置。また献納金銀による永苗帯刀の制度を定める。




参考文献 「日本史年表(岩波書店)」「会津松平家譜」「風雲児たち(みなもと太郎)」