安政以前の状況
その6
弘化4年は孝明天皇の石清水加茂神社の臨時祭を行い外国船来航の撃退などを奉じます、しかしてこの時期、外国船の来航は激しくなります。幕府も親藩に対して沿岸警備の強化を行うように指示。またこの年、グレート斉昭の七男でもある「七郎麿」が一橋家を継ぐこととなりました。12年抗争史のキーパーソンの一人でもある「徳川慶喜」も表舞台に現れる事となり、役者がそろそろ出揃い始めました!




弘化4年編 (弘化丁未4年)
(1847年)
1月 3日 勅して石清水加茂神社臨時祭を行う。
2月 6日
9日

15日

20日
肥後天草郡一揆。
三条実万、武家伝奏となる。
幕府海岸警備を定め、彦根藩主井伊掃部頭直亮、川越藩主松平斉典に相模海岸を、会津藩主松平肥後守容敬、忍藩主松平下総守忠固に房総海岸のを警備させる。
最樹院(一橋治済)21回法要あり。
3月 7日
9日

15日
福井藩、中根雪江側用人となる。
学習院開校式挙行される。
准三宮藤原氏(祺子)入内・女御宣下あり、女御16才。
4月 25日 石清水臨時祭に儀奏野宮定祥を勅使とし、特に外艦来航の件で四海静鑑を祈念する。
5月 26日 この月、大聖寺藩などの十藩に対して関東諸河川の普請役を課する。
6月 22日
26日
島津斉彬、隠密を使い琉球や調所派の探索を命じる。
オランダより、開国について勧告が来る。
7月 28日 幕府、浦賀奉行の席次を長崎奉行の次席とする。
8月 22日 宗対馬守より、朝鮮国へフランス人来航の情報が届く。幕府、紀伊、尾張、水戸三藩に令して海防を厳にし、藩士を督励せしむ。
9月 1日

22日
幕府、前水戸藩主徳川斉昭の七子七郎麿(招致後慶喜と改名)に一橋家を継がしむ。
老中阿部正弘、、水戸藩付家老中山信守を召して、藩士結城寅寿の罪状を詰問し、かつ藤田虎之介(東湖)戸田銀次郎(忠敞)の遠慮を宥免し、入獄の領民を釈放すべきと諭す。
10月 13日 皇太后新朔平門院崩御。享年37.
11月 8日 鍋島斉正より長崎の砲台強化を具申。大砲100門の増築を講う。幕府はこれを不許可。
12月 16日 井伊直弼、従四位下侍従に就任。玄蕃頭を兼ねる。




参考文献 「日本史年表(岩波書店)」「維新後大年表」「井伊直弼(吉川弘文館)」「松平春嶽(人物叢書)」「孝明天皇(秋田書店)」「茨城県幕末史年表」
「徳川十五代史6巻(新人物往来社)」